2026年6月2日
リノベーションを、仕事にすると決めた場所。
一軒の中古住宅と小さな倉庫から、自分たちのリノベーションが始まりました。
前回は、東京でリノベーションに心を奪われた頃の話を書きました。
今回は、群馬へ戻ってからの話です。
2011年3月。
東日本大震災の二日後に、私は東京を離れ、地元の群馬へ戻ります。
同年6月、父から会社を引き継ぎ、三代目になります。
ティーズオールワークスの創業は1974年12月。
祖父が貯水槽清掃を中心としたビル管理業として始め、父が二代目として引き継いだ会社です。
建築会社ではありません。
建物を建てるのではなく、建物を維持するための会社でした。
当時は月に数回、父と貯水槽清掃の現場へ行き、それ以外の日はハウスクリーニングや業務用エアコンの分解洗浄。
自分自身が現場へ出て、とにかく仕事を覚える毎日です。
2013年には、現在専務を務める弟の誠龍が会社へ加わります。
私が会社の頭だとすれば、弟は心臓です。
この二人でやっていく体制は、これから先も変わりません。
二人でハウスクリーニングの仕事を続けているうちに、内装、設備、塗装、防水、大工などの相談も少しずつ増えていきます。
退去した部屋を掃除し、傷んだクロスを張り替え、床を直して、設備を入れ替える。
次の入居者へ引き渡すための仕事です。
地味な仕事だと思われるかもしれません。
実際、誰かに褒められることはほとんどない。
それでも、荒れた部屋がもう一度貸せる状態に戻るのを何度も見ていると、建物というのは案外しぶといものだと分かってきます。
傷んでいるのは表面で、骨のほうはまだ生きている。
そういう見方が、少しずつ身についていきました。
この仕事を何百件と続けているうちに、身体で分かってきたことがあります。
建物は、使われれば必ず傷む。
そして、直せば戻る。
どこまで直せば貸せる状態になるのか、どこを直せば見え方が変わるのか。
その感覚は、部屋を数えるようにして覚えていきます。
清掃から、原状回復へ。
原状回復から、リフォームへ。
仕事の幅が、少しずつ建築へ広がっていきます。
2014年には、高崎市上小鳥町の近くに10坪ほどの小さなテナントを借ります。
家賃は5万円。
ここからハウスクリーニングの社員を募集するようになり、人も道具も少しずつ増えていきます。
2016年、私は自宅として中古の平屋住宅を購入します。
せっかく中古住宅を買うなら、東京で見てきたようなリノベーションをやってみたい。
そう考え、自宅そのものに手を入れることにします。
東京にいた頃から思い描いていた「会社で中古住宅を仕入れ、リノベーションして再び市場へ送り出す」という事業とは違います。
こちらは、あくまで自分が暮らすための家です。
それでも、この一軒は私にとって特別なものになります。
仕事で預かる建物は、いつも誰かの持ち物です。
どこまで壊すか、どこにお金をかけるか、最後に決めるのは施主。
ところがこの家では、それを全部自分で決めることになります。
どの壁を抜くのか。
床は何で仕上げるのか。
見えなくなる場所に、どれだけ手をかけるのか。
迷って、決めて、また迷う。
自分で中古住宅を買い、実際に建物へ手を入れて空間をつくったこの経験が、会社としてリノベーションを本格的に始めていく大きなきっかけになりました。
ほぼ同じ時期に、高崎市大八木町で二部屋の貸倉庫を借ります。
家賃は12万円。
それまでの10坪のテナントから考えると、倍以上です。
今なら大きな金額ではありません。
けれど当時のティーズにとっては違いました。
毎月7万円増えるということは、その分の仕事を毎月増やし続けるということです。
私たちにとっては、大きな決断でした。
それでも、
「ここなら、本格的にリノベーションを仕事にできるかもしれない」
という期待の方が大きかったのを覚えています。
今回の写真は、その倉庫をオフィスへリノベーションしたファサードです。
もともとは、ブロック壁に石膏ボードが貼られている程度の倉庫。
そこへ新たに壁をつくり、断熱材を入れ、コンクリートだった床を上げる。
天井は、鉄骨を現しに。
倉庫を事務所として使うだけなら、ここまでやる必要はありません。
ただ、これから中古の建物を扱っていこうという会社が、自分たちの建物に手をかけないのはおかしい。
そう思っていました。
解体や設備工事をお願いしたのは、地元の同級生だった設備屋です。
壁や断熱、床上げも高校時代の同級生に頼み、天井の塗装は後輩の塗装屋へ。
クロス、電気、大工、空調などは、それぞれ専門の業者にお願いしています。
このときは、まだ自社施工ではありません。
特に気に入っていたのが、外観です。
パレットをばらし、エイジング塗装を施した「スクラップウッド」を外壁に張る。
言葉にすると簡単ですが、手間はかかります。
パレットを一枚ずつばらし、釘を抜き、あえて揃えず不揃いな使い古した「板」。
そこへ塗料を乗せ、拭き取り、乾かし、また重ねる。そして「削る」。
新しい木を古く見せるために、わざわざ時間をかけるわけです。
効率だけを考えれば、まったく合理的ではありません。
この意匠をやってみたいと言い出したのは私ですが、実際に形にしてくれたのは、店舗改装をメインに手掛けていた多能工の職人さんでした。
彼とは、今も一緒に仕事をしています。
その後も、私の自宅のリノベーションや、高崎市飯塚町の飲食店など、いくつもの現場を一緒につくってきました。
ティーズのサインは造形モルタルでつくり、既存のアルミサッシも撤去して、木製建具をオーダー。
当時の私は、性能よりも圧倒的にデザインへの興味が強かったと思います。
東京で見てきたリノベーションの影響もありました。
古材、アイアン、廃材。
古いものが持つ表情を残しながら、新しい価値を与える。
そんなリノベーションに惹かれていた頃です。
既製品から選ぶのではなく、欲しいものがなければ、つくればいい。
「いつか家具も、自分たちでつくれたら面白いな。」
後のティーズガレージファニチャーにつながる考えも、この場所から始まります。
家具ショップが建築の入口である意味を読む(リノベの教科書24章へ)
そして、この頃からもう一つ強く考えるようになったことがあります。
「自社施工」です。
外部の職人さんと現場を進めていると、こちらが来てほしい日に来てもらえるとは限らない。
職人さんが変われば、金額も変わる。
工程も原価も、自分たちだけではコントロールできない。
だったら、職人を自社に迎えればいい。
設備も、内装も、塗装も、大工も、自分たちで施工できれば、工期も原価も安定する。
そして何より、自社施工は小さな会社が大手や同業他社と戦うための武器になる。
本気で、そう考えていました。
2016年の秋から翌年にかけて、設備、内装、塗装、クリーニング、大工と、専門の職人が一人ずつ加わっていきます。
ティーズは少しずつ、「自分たちでリノベーションする会社」へ変わっていく。
群馬で知られるリノベーション会社になりたい。
大手にも負けたくない。
小さな会社でも、施工力なら勝負できる。
そして、東京にいた頃から思い描いていた、中古住宅を会社で仕入れ、自分たちでリノベーションし、新しい価値をつけて販売する仕事も実現したい。
売上も、会社も、もっと大きくしたい。
今振り返ると、ずいぶん前のめりだったと思います。
でも、当時は迷いませんでした。
もし今、2016年の自分に会えるなら、一つだけ伝えたいことがあります。
「自社施工だけが、いい建築をつくる方法ではない。」
おそらく、当時の私は聞かないでしょう。
自分たちで施工することこそ、小さな会社が大手と戦うための武器になる。
本気でそう信じていたからです。
その後、ティーズはこの考えをさらに推し進めていきます。
職人が増えれば、その人数分の仕事をつくらなければならない。
仕事を増やせば、さらに会社を大きくしたくなる。
「自社施工なら、もっと強い会社になれる。」
そう信じて、進みます。
正しかったこともあります。
でも、間違っていたこともありました。
自社施工という挑戦がどうなったのかは、もう少し先で書きます。
その前に、この頃つくっていたものの話を書かせてください。
2016年の秋。
一人の現役プロキックボクサーと出会います。
次回は、そこから書こうと思います。
VOL.003|リングの外側で、できること。
プロボクサーを辞めて十数年。今度は、つくる側からリングに関わることになりました。
ティーズオールワークスは、群馬県高崎市でリノベーション・リフォーム・注文住宅を手がけています。
インテリアショップ「ティーズガレージファニチャー」では、実際の家具や素材に触れながら、住まいのご相談をしていただけます。
まだ何も決まっていない段階でも構いません。