2026年6月1日
リノベーションに、心を奪われた頃。
東京で出会った、古い建物に新しい価値をつくるという仕事。

リノベーションのホームページをリニューアルするにあたり、「SPACE LOG」という場所をつくることにしました。
施工事例でも、リノベの教科書でもありません。
ティーズオールワークスが、どんなことを考えながら建築の仕事をしてきたのか。
うまくいったことだけではなく、失敗したこと、途中で考え方を変えたこと、そして今考えていること。
そんなことを、少しずつ記録していこうと思っています。
最初なので、まずは私自身と、リノベーションとの出会いから始めます。
リノベーションという言葉を知ったのは、東京にいた頃です。
それまでの私にとって、家は新しくつくるものであり、古い建物は古いというだけで価値が下がっていくもの。
そう思い込んでいました。
その考えが変わった日のことを、今でも覚えています。
生まれ育ったのは、群馬県安中市です。
その後、一度群馬を離れて東京で暮らし、2011年に再び群馬へ戻ることになります。
少しだけ、その前の話から書かせてください。
1998年3月に高校を卒業し、家業だった貯水槽清掃を手伝いながら働き始めます。
塗装、防水、大工、型枠、土木。
いろいろな現場を経験しました。
当時は、建築を仕事にしようと考えていたわけではありません。
ただ、体を動かすこと自体は、嫌いではなかったように思います。
何もなかった場所に、夕方には形ができている。
その手応えのようなものだけは、今も覚えています。
2003年、安中市を離れて東京へ出ます。
世田谷に住み、飲食店やコールセンターでアルバイトをしながら、プロボクサーとして後楽園ホールなどのリングに立つ日々です。
その後、不動産業界へ入ります。
六本木の不動産会社では、ビルやマンションオーナーへの新規開拓営業。
三軒茶屋の不動産会社では、賃貸営業に加えて、退去後の原状回復工事の見積もりや発注にも携わっています。
その後は、美容系商社の不動産事業部で、店舗の居抜き物件を扱う仕事へ。
昼は物件を案内し、夜はジムへ通う。
どちらも中途半端にはできない生活で、よく続いたと思います。
どちらの世界でも、結果が数字で出る。
そこだけは共通していたのかもしれません。
振り返ってみると、この頃の経験が今の仕事につながっている部分は少なくありません。
建物のオーナーが何を気にするのか。
原状回復の見積もりが、どんな内訳でできているのか。
店舗を借りる人が、どこで決断するのか。
そして同時に、当時の私は不動産の常識も身につけていきます。
募集図面に書かれた築年数は、家賃を下げる理由でしかありません。
築三十年の物件は「古い」の一言で片づけられ、値段を下げるか、設備を新しくするか、手はその二つくらい。
それが当たり前だと思っていました。
自分が群馬へ戻って建築会社を経営することになるとは、その頃はまだ考えてもいません。
2000年代半ば。
東京の不動産会社で働いていた頃に、設計事務所のブルースタジオが手掛けたリノベーション物件を知ります。
当時のブルースタジオには会員制度があり、登録しているとオープンハウスの案内や、リノベーション物件の賃貸・売買情報が届きます。
私はそれを見るのが楽しみで、休日になると中古マンションのリノベーション物件を何度も見に行きました。
仕事ではありません。
買うあてもなければ、借りる予定もない。
それでも案内が届くたびに、地図を確かめて出かけていきます。
案内の紙に並んでいるのは、築年数と最寄駅と家賃。
どれも、普段の仕事で見慣れた数字ばかりです。
それなのに扉を開けると、その数字からは何一つ想像できない空間が広がっていました。
今でも、初めて見たときのワクワクした感覚を覚えています。
玄関からリビングまで続く、広い土間。
コンクリートを現しにした天井や壁。
電気配線を隠さず、あえて鉄管に納めて見せる。
扉のない収納。
ガラス張りの浴室。
中には浴槽すらなく、シャワールームだけの住まいもあります。
キッチンを見ながら、「食器や調味料はどこにしまうんだろう」。
リビングまで土間が続いていれば、「ここも土足で生活するのかな」。
そんなことを考えながら、部屋を歩きます。
それまで自分が知っていた「家」とは、まったく違いました。
古いものをきれいに直して、新築のように見せるのではない。
古さも、コンクリートも、配管も隠さず、それ自体を空間の一部にしてしまう。
今でいうインダストリアルな、あまりに無骨なスタイルです。
当時の私は、生活動線や性能、収納量や使いやすさよりも、その世界観に夢中でした。
面白いのは、どの物件も元は普通のマンションだったということです。
新しく建てたわけではありません。
すでにそこにあった建物の中身を抜いて、考え方を入れ替えただけ。
それだけで、まったく別のものになる。
そして、もう一つ驚いたことがあります。
その人気です。
当時、私が住んでいた世田谷周辺では、50㎡程度の一般的なマンションなら、家賃12〜13万円くらいの物件も多かったと記憶しています。
ところが、私が見ていたリノベーション物件には、同じくらいの広さでも18万円を超えるものがありました。
それでも、入居希望者がいる。
人気の物件では順番を待っている人がいて、退去する頃には次の入居者が決まっている。
賃貸の仕事をしていると、空室の期間がどれだけ重いかが分かります。
一か月空けば、その分の家賃は戻ってきません。
だから普通は、条件を下げてでも早く決めようとします。
その常識の反対側に、こういう物件がある。
相場より高いのに、空かない。
不動産会社で働いていた私には、これがとても面白く見えました。
普通に考えれば、収納は多い方がいい。
お風呂には浴槽があった方がいい。
生活動線は使いやすい方がいい。
家賃だって、安い方がいい。
でも、そうした条件だけでは説明できない価値に、お金を払う人たちがいる。
「この空間に住みたい。」
その気持ちが、家賃相場や築年数とは別の価値を生み出しているように見えました。
条件を積み上げて選ばれる家と、一目で選ばれる家。
同じ市場の中に、まったく違う二つの選ばれ方が並んでいる。
古い建物でも、考え方とつくり方によって、価値は変えられる。
当時の私にとって、これはかなり大きな発見です。
そしてこの感覚は、今もティーズの仕事の根っこにあります。
広さや設備の新しさだけでは、住みたいと思う理由になりません。
逆に言えば、条件で負けている建物にも、まだやれることがある。
リノベーションという仕事を面白いと思うのは、たぶんそこです。
新築であれば、条件はある程度そろえられます。
広さも、設備も、断熱も、お金をかければ数字として積み上がる。
けれど中古の建物には、動かせない条件が必ず残ります。
その動かせないものを抱えたまま、どこまで魅力をつくれるか。
勝ち目のない条件から始めて、それでも選ばれるものにする。
あの頃に見ていたのは、そういう仕事でした。
中古住宅とリノベーションという選択肢について読む(リノベの教科書2章へ)
「いつか自分でも、中古住宅を仕入れてリノベーションし、新しい価値をつけて販売する仕事をやってみたい。」
そう考えるようになったのが、私とリノベーションとの最初の接点だったと思います。
この記事の冒頭に載せた写真は、それから十数年後、実際に私たちが手掛けた高崎市の中古マンションです。
東京で憧れていたものに、ようやく自分たちの手が少し届いた一件でした。
それから数年後。
私は東京を離れ、群馬へ戻ることになります。
そして、祖父から父へと繋いできた会社を引き継ぎます。
1974年に、貯水槽清掃から始まった会社です。
当時はまだ、今のようにリノベーションや建築を手掛ける会社ではありません。
そこから、ハウスクリーニング、原状回復、リフォームへと、少しずつ仕事が広がっていきます。
そして2016年。
一つの場所をきっかけに、「リノベーションを会社の仕事として本気でやっていこう」と考えるようになります。
次回は、その頃の話を書こうと思います。
東京で見ていたものと、群馬で自分たちがやれることの間には、当然ながら距離があります。
その距離を、ここから十年かけて埋めていくことになる。
当時はまだ、そんな自覚もありませんでした。
VOL.002|リノベーションを、仕事にすると決めた場所。
2011年、群馬へ戻り、三代目として会社を引き継ぎます。貯水槽清掃から始まった会社の仕事が、原状回復、リフォームへと広がり、やがてリノベーションを本格的に手掛けるようになるまでを書きます。
ティーズオールワークスは、群馬県高崎市でリノベーション・リフォーム・注文住宅を手がけています。
インテリアショップ「ティーズガレージファニチャー」では、実際の家具や素材に触れながら、住まいのご相談をしていただけます。
まだ何も決まっていない段階でも構いません。