2026年6月7日
家具屋を始めると、決めた場所。
本社にするはずだった一階が、家具屋になります。

上小鳥町の建物を買った理由は、本社と倉庫でした。
その一階が、事務所として使えないと分かります。
三十坪の使い道を考えるところから、すべてが始まります。
2018年の暮れ、本社の移転に向けて用途地域を調べ直します。
購入前、不動産会社には確認していました。「調整区域ではないので大丈夫です」。私自身も、調整区域でなければ問題ないという程度の認識でいたのです。
調べ直して分かったのは、その認識が浅かったということでした。
第一種中高層住居専用地域。住環境を守るために、建てられるものと営めるものが細かく決められている区域です。一般事務だけを行う単独の事務所は、規模の大小にかかわらず認められません。建設会社の倉庫も同じでした。
誰かに指摘されたわけではありません。自分で調べていて、気づきます。
確認したつもりで、確認していなかった。
それでも、不思議なほど慌てませんでした。工事のめどが立っていたわけでもなく、何より、建物の購入と改修を合わせた借り入れが通ったこと自体が、当時の私にはうれしかったのです。三代目になって初めて、銀行がまとまった金額を任せてくれた。
買ったことへの後悔は、ありません。
二階の使い道は決まっています。家具の他、造作キッチンや浴室、トイレを設置して、家具と暮らしそのものを見てもらう展示のフロアです。
残るのは一階、約三十坪。
貸すという選択も、手放すという選択もありました。ただ、どちらも二階には人を運んでくれません。私が欲しかったのは家賃でも売却益でもなく、一階から二階へ上がってもらう動線です。
そして用途地域の制限をもう一度読むと、道がひとつだけ残っています。
事務所はできない。倉庫もできない。けれど、二階以下・床面積五〇〇平米以内であれば、物品を販売する店舗は認められる。
人を呼べる用途が、店しかなかった。
三十坪で、何の店をやるか。考えるまでもありません。二階に並べようとしているものが、そのまま答えでした。
2019年2月。県内で先に家具店を営んでいた会社へ、相談に伺います。
前橋と伊勢崎で二店舗を展開され、いつか高崎に出したいと聞いていました。であれば、その高崎店をティーズにやらせてもらえないか。一階でお店を開き、二階の展示フロアへつなげたい。そう伝えます。
その日は、話が弾みました。
売れ行きのいいブランドを教えていただき、二人で「それはティーズのリノベーションに合いますね」と盛り上がる。手応えを感じました。家具のことを何も知らない私に、時間を割いて話してくださった方です。
数週間、返事がありません。
こちらから伺うと、答えはこうでした。のれん分けではなく、家賃を払って自分たちで高崎店を運営したい。
どちらが正しいという話ではありません。描いている絵が、違っていた。
先方にとっては三店舗目の出店です。私にとっては、建築の入口をつくる話でした。一階が別の会社の店舗になれば、家賃は入っても、二階へ上がる人はいません。
決裂と呼べるようなやりとりもないまま、話は自然に離れていきます。断りの言葉も、諦めの言葉も交わさずに。
別れる前、こんな言葉をいただいています。戦略もなく家具屋を始めて売れるものではない、こちらには十年以上の実績とノウハウがあるから任せてほしい、と。
十年、店を続けてきた人の言葉です。そして実際、そのとおりでした。売れなかったのですから。
それでも私は、自分でやると決めます。2019年の春です。
この相談がなければ、ティーズガレージファニチャーは生まれていません。今は行き来がなくなってしまいましたが、家具という選択肢を私の前に置いてくれたのは、あの日の一時間でした。

教えていただいたブランドに、直接連絡します。
答えは、どこも同じでした。群馬県にはすでに取扱店がある。商圏の関係で、新規の取引はできません。
当然です。私は家具業界に、何の実績もありません。
ならば、扱えるものを探すしかない。エリア制のないメーカー、あるいは県内に取扱店のないメーカーを、一社ずつ調べて連絡していきます。関家具、馬場家具、BIMAKES、a.depeche。関西の卸からはヴィンテージ家具を卸してもらい、アイアンや古材の家具はオーダーで製作してもらう。照明、ラグ、雑貨。当時は多肉植物も並べていました。
輸入はしません。製造は海外であっても、取引先は国内のメーカーに限る。責任の所在が見えるほうが、建築の仕事と同じで、安心して人に勧められるからです。
品揃えは、選んだものではなく、選べたものの集まりでした。
内装は、自分たちで手を入れます。
間仕切りをすべて解体し、水回りと給排水を移設する。床は不陸とクラックが激しく、レベラーを流して平らにし、その上からクリアで仕上げる。新聞販売店時代の造作が数多く残る壁は、塗装の社員がパテ処理から左官仕上げまで担いました。
カウンターと、エキスパンドメタルと古材の間仕切り壁。これは大八木町のオフィスでスクラップウッドを施工してくれた多能工の職人につくってもらいます。回り縁、巾木、造作カウンターも、同じ手です。
建具は、最初にいただいた見積と考えていた金額に開きがあり、知人のサッシ屋に「いい建具屋を知らないか」と相談して紹介してもらいました。ここから長い付き合いが始まります。
タイルは、この現場で出会った職人に。カウンターの背面とトイレにレンガ調を張ります。この方とは、今も一緒に仕事をしています。
ブルックリン、インダストリアル。当時流行し始めていた言葉に、私は強く惹かれていました。
今のティーズとは、ずいぶん違います。
それでも、既製品を並べるだけの店にはしない。店そのものから、自分たちでつくる。大八木町から続いていた考え方は、ここにも残っていました。
店名を決めます。

ティーズは動かしません。そして、私が好きだった家具店は、どこも名前の最後にファニチャーを置いていました。ACME Furniture、TRUCK FURNITURE、PACIFIC FURNITURE SERVICE。だから最後はファニチャーにしたかった。
ティーズファニチャーでも良かったのですが、古材とアイアン、ヴィンテージという当時の店の空気に、もうひと言足りません。
ガレージ。
T’s Garage Furniture。
オープン日は、人で決まりました。
小学校からの同級生が、十年以上勤めた会社を辞めると聞きます。会社を辞めるなら家具屋を始めるから手伝わないか、と声をかけると、やってみたいと言ってくれました。いつから来られる。9月23日なら行ける。
9月20日から北海道への社員旅行が決まっています。ならばその後、彼が来られる日を開店日にする。
彼には、こう話しました。
家具が売れなくてもいい。
競合の家具店は月に二〇〇万円ほど売っているだろうけれど、こちらはそこを追わない。家具を見に来た人が二階へ上がり、その空間を気に入って、住まいの話になる。月に一件でも工事につながれば、それで成立する。そしてティーズが手がけた家に、その空間に合う家具まで提案する。
家具と建築を、ひとつの仕事として考える。
まだ店すら始まっていないのに、私はその可能性を、かなり大きく見ていました。
2019年9月23日。T’s Garage Furnitureをオープンします。
家具屋の経験は、ありません。それでも、Instagramで発信すれば人は来る。家具も売れる。そこからリノベーションの相談も生まれる。
当時は、本気でそう考えていました。
実際には、そのどれも簡単には起こりません。
NEXT|VOL.008|誰も来ない、家具屋。
平日はゼロ。土曜日もゼロ。日曜日に一組。
建築の入口として始めた家具屋に、人が来なかった頃の話を書きます。
ティーズオールワークスは、群馬県高崎市でリノベーション・リフォーム・注文住宅を手がけています。
インテリアショップ「ティーズガレージファニチャー」では、実際の家具や素材に触れながら、住まいのご相談をしていただけます。
まだ何も決まっていない段階でも構いません。